「地球熱水発電装置」を考える男の巻

コーディネーターズ

2009年10月23日 15:40



日本高圧株式会社

佐藤さん(代表取締役社長)

09年10月13日

今回、グランドリバシィーの小川さんに紹介していただいた

佐藤さんは、現在もプルトニウムを使う原子力発電所に、

熱媒体となる気体や液体の循環システムを納入しています。

「私は、昭和9年、岩手県に生まれました。

新制中学で野球をやっていて、投手でした。

戦時中はアメリカは敵国であり、野球は彼らの

スポーツでしたのでできず、野球道具は学校の

屋根裏に隠してありました。

戦後入学した一関一高ではいきなり千本ノックを浴び、

心身ともに鍛えられました。大学は日大、また早大の

理工学部機械学科で学びました。柔道は講道館で学び、

柔道の神様三船久蔵先生の前で表彰されたこともあります。

会社は大学でのアルバイト先の花王に行って、

化学実験装置の圧力調整の機器の開発を手始めに、

高圧水素圧力計、水素転化装置や高圧反応装置、

そして自動定圧定量調整器の発明開発に成功しました。

22~23才のときです。こうして会社創立の運びとなり、

日本高圧製作所と名乗り、27歳で日本高圧株式会社を設立、

当時最先端の高圧力や真空機器など、化学プラントに

関係する機器を率先して製造し、世に寄与しました。

お得意先はほとんど大企業でしたが、しかし、

大手商社のブラック勘定の餌食となり、狙い撃ちにあい、

あえなくライブドア式に18年目にして乗っ取られるはめにあいましたね。

個人の特許を元手に再起をアメリカに求め渡米しましたが、

しかし、その製造工場が見つからず、

米国特許を売ることを考えました。

これについては、カリフォルニア州立大の有能な女性に巡り会い、

パテントを売るためのカタログ作成、印刷、また売り込み先相手を

見つけるために、ATTの電話帳の必要なページを引きちぎって

カタログを発送し、アポを取って売り込んでいくという女性でした。

おかげで相手先が見つかり、それで地盤ができたわけです。

 その後日本の大手から日本に帰るように求められ帰国しました。

現在は、プルトニウム原子力や再処理関係の

流体システムの仕事もしております。

 最近では、特許関係で「地球熱水発電装置」

「日本海溝発電プロジェクト」その他諸々の実現のため努力中です。

ぜひ皆様の援助をいただき、実現に努力いたしたく考えております。


関連記事